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ダートマス奇襲 (1751年) : ミニ英和和英辞書
ダートマス奇襲 (1751年)[だーとますきしゅう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
奇襲 : [きしゅう]
  1. (n,vs) surprise attack 
: [ねん, とし]
  1. (n-adv,n) year 2. age 

ダートマス奇襲 (1751年) : ウィキペディア日本語版
ダートマス奇襲 (1751年)[だーとますきしゅう]

1751年のダートマス奇襲(Raid on Dartmouth、またはダートマスの虐殺)は、ル・ルートル神父戦争中の1751年5月13日に起こった襲撃である。シグネクト地峡からアカディア人とミクマク民兵隊が、アカディア人ジョゼフ・ブルッサールの指揮のもとダートマスを襲い、町を破壊して20人のイギリス人入植者を殺した。ル・ルートル神父戦争中には、他に6回、インディアンとアカディア人がダートマスを襲撃している。
==歴史的背景==

1710年にイギリスの支配下となったにもかかわらず、イギリス領アカディアのノバスコシアは、カトリックのアカディア人とミクマク族の強い影響下にあった。この地域へのプロテスタントの入植を阻止するため、ミクマク族は1715年に、イギリス人入植地として建設された現在のシェルバーン1720年カンゾを攻撃した。時代は下って、1749年6月21日に、エドワード・コーンウォリスハリファックス建設のために、13隻の輸送艦と共にアカディアにやって来た。これがもとになってル・ルートル神父戦争が起こった〔Grenier, John. The Far Reaches of Empire. War in Nova Scotia, 1710-1760. Norman: U of Oklahoma P, 2008〕〔Thomas Beamish Akins. History of Halifax, Brookhouse Press. 1895. (2002 edition). p 7〕。イギリスは、一方的にハリファックスを建設する際に、1726年のラル神父戦争の後、ミクマク族とに交わした条約を踏みにじった〔Wicken, p. 181(翻訳元に書名ほかの詳細情報未記載)〕〔Griffith, p. 390(翻訳元に書名ほかの詳細情報未記載)〕〔Northeast Alchaeological Serach 〕。
イギリス人たちは他の入植地も建設に取り掛かった。ミクマク族、アカディア人、そしてフランス人の攻撃からプロテスタントの新植民地を守るため、ハリファックス、ダートマス、ベドフォード(サックヴィル砦)、そしてルーネンバーグローレンスタウンに砦が築かれた〔John Grenier. ''The Far Reaches of Empire: War in Nova Scotia, 1710-1760.'' Oklahoma University Press.〕。多くのミクマク族とアカディア人が、これらのイギリス人集落を標的にした襲撃を行った〔Grenier pp. 154–155〕〔the Diary of John Salusbury (diarist): ''Expeditions of Honour: The Journal of John Salusbury in Halifax''〕〔''A genuine narrative of the transactions in Nova Scotia since the settlement, June 1749, till August the 5th, 1751 Expeditions of Honour: in which the nature, soil, and produce of the country are related, with the particular attempts of the Indians to disturb the colony / by John Wilson.〕〔Acadia, Bk.1, Part5; Ch.7, The Indian Threat (1749-58). 〕 。
1749年にもダートマスへの襲撃が行われており、これに対抗して、ノバスコシア総督コーンウォリスは、すべてのミクマク族の頭皮に懸賞を掛けるよう求めた。イギリス軍はアメリカン・レンジャーズに、フランス軍が、イギリス人の頭皮に対してミクマク族に払っているのと同じ金額を、ミクマク族の頭皮にかけた〔Akins, p 19〕 フランス軍がイギリス兵の頭皮を集めるため、ミクマク族を雇う一方で、イギリス軍はフランス兵やミクマク兵の頭皮を集めるために猟兵(レンジャー)を雇った。英仏両軍とも、辺境地帯の戦闘技術には、ミクマク族や猟兵ほどには長けていなかった。コーンウォリスにジョン・ウィンスロウ、そしてジェフリー・アマーストのようなイギリス軍の士官は、猟兵やミクマク族の、森林での戦いの巧みさに驚きを隠せなかった〔Grenier, p.152〕〔Faragher, p. 405〕〔Hand, p.99(翻訳元に書名ほかの詳細情報未記載)〕 。
さらに、この仕事を達成するために、2つの猟兵隊が立ち上げられた。ひとつは大尉フランシス・バルテーロ、もうひとつは大尉ウィリアム・クラファムが隊長だった。この2つの隊はジョン・ゴラムの隊と一緒に任務を遂行した。3つの部隊はハリファックス周辺の土地を、ミクマク族を探して行き来した〔Akins, p.19〕。
1750年7月、ミクマク族がダートマスで仕事をしていた男7人を殺して頭皮を剥いだ〔Atkins, p 334〕。同じ年の8月に、353人のイギリス人がオルダニーに着いて、ダートマスのイギリス人集落を建て始めた。その年の秋には町の設計図が出来上がった〔Akins, p. 27〕。その年の9月30日、ダートマスはまたもミクマク族の襲撃を受け、住民が5人以上殺された〔John Grenier (2008). The Far Reaches of Empire: War in Nova Scotia, 1710-1760. p.159〕。同じ年の10月、約8人のグループが気晴らしのため野鳥を撃ちに行き、インディアンの襲撃を受けて、捕虜に取られ、頭皮を大きなナイフではがれた。インディアンたちは明らかにこの目的でナイフを所持しており、頭皮を剥いだ男の体を海に投げ捨てた〔John Wilson, A Genuine Narrative of the Transactions in Nova Scotia since the Settlement, June 1749 till August the 5th 1751. London〕〔A. Henderson, 1751 as recorded by Archibald MacMechan in ''Red Snow on Grand Pre''pp. 173-174〕。
1751年3月、ミクマク族はまた2回の襲撃を行い、その前年と合わせて全部で6回の襲撃を掛けた〔John Grenier (2008). The Far Reaches of Empire: War in Nova Scotia, 1710-1760. p.160〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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